アラサーにとってFacebookはパンドラの箱
昨日は住んでいる地方都市で彼氏と話題のイタリアンに行ってきました。
なんかリア充自慢?
肝心のお店は完璧、名前で営業、中身が付いてきてないパターンでした。
30超えると舌も肥えていきます。
でも収入はなかなか伸びないとゆーアンバランス!
人生って上手くいかないぜ!
さて。
アカウント作っていっときは更新してたけど、今じゃあまったくログインすらしてません。
私のアカウント、今はやりの乗っ取りにあってても気づかないと思うくらいFacebookは触ってません。
触ってない理由としては、突き詰めてしまうとそんなに人の生活に興味がなかったという所に行き着きます。
なので、日記かよ!くらい毎日毎日更新する人、TwitterなどのSNSと連動させてやたら中身のない更新が多い人、いろいろいましたが、そーゆー人のおかげで、自分はFacebookには向いてないという事を思い知りました。
でも、毎日毎日、Facebookからは何らかのお知らせが来ます。
毎日、毎日、誰々が写真を更新しただの記事を投稿しただのお知らせがきます。
まあ、ほとんど無視してます。
でもよ?でも!
アラサー位になるとお肌は下方気味でたるむんだけど、情報収集と情報処理能力は上がるわけ!
だからFacebookからのお知らせも、ちゃっちゃと消去するんだけど、そのお知らせが来て消去するまでの指の操作の間に、お知らせを読み取ってしまうのです。
そう、そういう秒で事を進めてしまうとき。
そう、それは結婚、出産のお知らせ。
Facebookも週刊誌の見出しばりに、「え?!で?!それで?!」
ばりに食いついてしまう。
お知らせで教えてくれるのは投稿した記事の一部だから、まさに週刊誌の見出しトリックね。
でも見出しから溢れすぎてる夢と希望と幸せがアラサーのFacebookログインを阻むのです。
アラサーにとって他人の夢と希望と幸せは劇薬。取扱注意なのです。